読書感想文

今日の1冊は速読術の本です。

 要は、目を鍛えて早く文字を追う力をつけるのだそう。

 

速読は「本当に出来るのかな?」と懐疑的ではあるものの、出来たらたくさんの本も読めるし羨ましいなと思ってはいます。

 

過去にも色々な速読の方法を探しましたが、概ね「2割だけ読む」「早く目を動かす」「写真を撮るように視る」のパターンに集約されています。

 

個人的には、すでにベースの知識があるものは早く目を動かして読んでも内容把握出来ますが、知識の無い分野に関しては、繰り返して読んだりしてます。

写真撮るみたいなことは、出来ませんでした。。。

 

 

「1冊10分」で読める速読術 (知的生きかた文庫)

「1冊10分」で読める速読術 (知的生きかた文庫)

 

 

読書感想文

今日の1冊は堀江貴文さんの「多動力」です。

 

多動力 (NewsPicks Book)

多動力 (NewsPicks Book)

 

 

 

これから、あらゆるモノがネットに繋がり、色々な壁がなくなっていくと言っています。

そして、そのような時代に必要となるのが、次から次へ興味をハシゴしていく「多動力」ということだそうです。ハシゴして、得たものを掛け合わて、新たなモノを生み出すことが出来る。

 

昔、私の会社で「ほんまでっかTV」に出演されている植木先生が公演されたときのことを思い出しました。

 

植木先生は、「5つのペルソナ(仮面)」を持つことを勧められていました。

 

要は「会社の私」だけで無く、「フットサルをしているときの私」や「ボランティア活動しているときの私」、「副業しているときの私」など、色々な顔の自分を持っておくと、一つの私が上手くいっていないときでも、別の私が支えになれる可能性があり、健康な心の維持に役立つのだと言っていました。

 

多動力は、心も健康にしてくれる気がします。

プリズン・ブレイクから学ぶ「プロジェクト管理」

遅まきながら、最近プリズン・ブレイクにハマってしまい、この1か月くらいでシーズン1~4まで一気に 見てしまいました。

主人公のマイケル・スコフィールドが刑務所から兄のリンカーン・バローズを助け出す(脱獄)ところから 始まり、シーズン4に至るまでに、逃亡→再度投獄→再度脱獄→「組織」を倒すという感じなのですが、 その間のマイケルの頭脳はプロジェクト管理の重要さとそれでもどうしようもない事態への対処方法を 教えてくれます。

ポイントを羅列します。

・綿密な脱獄計画

→まずはわざと投獄されることも想定して、綿密な脱獄計画を立てます。  刑務所にはどういった人物がいて、それぞれどんなものを持っていて(特徴)、それぞれの欲しいものや弱み、悩みを調査し、  それを利用するところまで計算に入れます。   ・計画を実行

→強盗を装って、バローズが収監されているフォックス・リバーへ自分も収監される。  自分の脱獄計画に沿って、使える人間を「仲間にする」というよりは「取り込んでいく」感じ。  ただし、曲者揃いでなかなかうまくはいかない。  取り込む予定のないメンバーまでついてきてしまう。  さらには、想定していた脱獄ルートまで使えなくなってしまう。

・計画の再考

→うまくいかなかった部分は再考、ただし時間がないので、まずは本来の目的に立ち返る。  「バローズを逃がす」「バローズを死なせない」  運もあるが、うまく時間を稼ぐことが出来、脱獄成功。

・抜かりない計画

→「脱獄することが目的ではない」「逃げ切って、自由を手に入れることが目的」。目的を外さないから、抜け出した  後の計画も用意周到。

感じたのは、「想像力」「イメージ力」のすごさと「if」の分岐のすさまじさ。 そして、ピンチの時にはあらゆるパターンを再考出来る思考力。

うん、勉強になります。

NHKって必要なの?

同じような内容ばかりニュースにしている民間放送以上に「必要なの?」と思わずにいられないのが、NHKです。

民間放送は収益源が「広告収入」ですが、NHKは「受信料」です。

この「受信料」が直接消費者から搾取される仕組みであり、ここが批判の多いところです。

正直、「見ている人だけ払えばよい」と思ってしまいます。

NHKの主張としては以下です。

 

公共放送は必要なのか|NHKよくある質問集

NHKとはどういう事業体なのか|NHKよくある質問集

 

NHK自身は、こんな役割を担っていると言っています。

広く世界や日本の課題を共有化し、正確な情報で人と人を互いに“つなぐ”というメディアの公共的な役割

 

また、こんなことも言っています。

緊急災害時には大幅に編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、大河ドラマ紅白歌合戦のような関心の高い番組だけでなく、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。これは広告料を主な財源とする民間放送や、税金で成り立つ国営放送ではなく、視聴者のみなさまに負担していただく受信料で成り立つ公共放送だからこそ実現できるものと考えています。

これって、「受信料」方式でないと、実現出来ないのでしょうか?

結局、教育番組や福祉番組云々では視聴率がとれないことの言い訳ではないでしょうか。

こういった理念の元、運営しているのであれば、今の民放は大きな違いも見いだせていないし、解体して、教育や福祉、大河ドラマなどを中心に独自性を出して生まれ変わるのも手だと思います。

そもそも「受信料」だけが収益源だから、こうなる。

他の民放みたいに、投資など収益源を多様化することも必要です。

 

そういった努力無く、かなり強気(脅し?)で徴収してくる(下請会社の方かと思いますが)のは印象もよろしくないかと思います。

読書感想文

学校で書いた以来の読書感想文です。

 

堀江 貴文氏「99%の会社はいらない」

 

正直、わざわざ会社を作るという面倒なことをしなくても、できることはたくさんある。 

 

この言葉を見て、すぐにリンクしたのが、ワンピースの800話「子分盃」の話。

ルフィは子分にしてほしいと言ってきたバルトロメオらを一蹴、「窮屈」と言い放っています。

 

そう、「会社」のように大きくなると (自分も所属しているのでよく分かりますが)思った通りにやりたいことがやれず、まさに「面倒」「窮屈」なのです。

 

ルフィは、さらに続けて、「危ないと思ったら、大声で呼ぶから助けてくれ」と言っています。

 

これからの会社も「会社」の枠組みにとらわれることなく、最少人数で、プロジェクト毎に各方面に「こんなことがやりたいから、助けてくれ・手伝ってくれ」とお願いしていくやり方の方が、思ったようにやりたいことをやれるのではないかなと感じます。

 

ただし、こういったことは「労働を時間で管理する」とか既存の枠組みから抜け出せないと前に進まない。

 

率先して取り組み、提案していきたい。

 

 

 

ゆとり世代とは?

そういえば、ふと昔入社したての頃に言われたことを思い出した。

 

入社した際の、レクリエーションみたいなことをしていた最中でした。

檀上に人事の担当者が今にも話そうとしているにも関わらず、まだ大学生気分の抜けない私たちはガヤガヤとしゃべっていました。

 

案の定、人事担当者が怒ったのですが、その際に次のような発言をしました。

 

「君たちはゆとり世代だから!」

 

その話の前後は、正直話を全く聞いていなかったので覚えていないのですが、妙にその言葉が引っかかって今も離れません。

 

それまで、「ゆとり世代」と言われた覚えがなかったからです。

 

気になって、今回調べてみました。

どのサイトにもだいたい同じ記載がされていたので、ウィキペディアから引用したいと思います。

 

ゆとり世代 - Wikipedia

ゆとり世代については明確な定義、範囲はなく諸説ある。

  • 小中学校において2002年度施行[1][2]、(高等学校は2003年度)[3]の学習指導要領による教育を受けた世代
    1987年4月2日 - 2004年4月1日生まれ)(2017年現在:13-30歳)[4]
  • 小中学校において1980年度以降、(高等学校は1982年度以降)の学習指導要領[5][6]による教育を受けた世代[7]
    (1966年4月生まれ以降)(2017年現在:51歳以下[8])。 

 

私は1986年1月の早生まれなので、やはりゆとり世代ではありませんでした。

しっくりこないわけです。

怒れる人事も、いいかげんな人だった訳です。

 

因みに私たちは「プレッシャー世代」らしいです。

d.hatena.ne.jp

1982年から1987年生まれの世代。

ポスト団塊ジュニアからゆとり第一世代の間の世代。

社会への関心を抱く頃には既にバブル崩壊。成長過程で失われた十年を目の当たりにしている。 

 

なんでも、一括りにしたがる人種がいるのですね。 

 

 

 

マスコミって必要なの?

 

そもそもマスコミってなんなのでしょうか?

 

http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-matida/2132/

 

 英語mass communication(マス・コミュニケーション)から4文字を取った略語。マスは「大衆、大量」で、コミュニケーションは「伝達」。日本語では普通「大衆伝達」と訳されています。新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・映画などのマスメディアによって不特定多数の人々に大量の情報が伝達されること。

 

では、メディアとはなんなのでしょうか?

 

こちらはmass media(マス・メディア)の略。マスは前述の「大衆、大量」で、メディアは「媒体」。だから「大衆媒体」ということになります。新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・インターネットなどを指す言葉なのです。マスコミが「伝達」であるのに対しメディアは「媒体」。英語ではここに実は大きな違いがあるのです。日本語では使う側が同じような意味に使い、読む側も同じように読む。互いにかなりあいまいな使い方をしていることになります。

 

そうすると、私が良くイメージする「マスコミ」というのは「マス・メディア(テレビと一部雑誌)」という言い方が正しいのだと思います。

 

本題に戻ります。

 

朝のニュースの民放はどれもだいたいいつも同じニュースばかり。

しかも、同じニュースを2日も3日も延々とやって、コメンテーターの薄口評論とのコラボレーション。

 

「ジャーナリズム」という言葉を盾にして、「ジャーナリズム」を出さなくてもよいような、「人の色恋や注目を集められそうな良くないこと」をただひたすらにその「利益」のために追いかける始末。

雑誌も然り。

 

http://e-words.jp/w/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2.html

  

新聞・雑誌・放送などで、時事問題の報道・解説・批評などを行う活動。また、その事業。

 

日本からかけ離れた、世界事情(戦争など)を伝えることには意味があると思えるのだが、明らかに「倫理感を失っている」と思えるようなことが多すぎる。

 

薄口には薄口で。

マス・メディアは、ほぼ不要というのが、私の結論です。